ペンギン・ハイウェイ/森見登美彦
原作小説も映画版も良いが、映画の方が好きかな
「ペンギン・ハイウェイ」の原作小説を最後まで読んだりしていました。映画版の「ペンギン・ハイウェイ」とおおむね着地地点は同じなのですが、途中のエピソードを省いているので、途中経過がそこそこ違いますね。
まあ、映画版はきらめく夏休みとラストの疾走感が素晴らしいし、原作はアオヤマくんの内面が堪能できるので、どちらも味わい深いもので良きです。
とはいえ、どちらかといえば、映画版の料理の仕方がやっぱり素晴らしく、映画版の方がヘビロテしたい感じはしますね。
ペンギンハイウェイ(映画版)
ついでなので、映画版ペンギン・ハイウェイの話も書きます。
キャラも演出もストーリーも良い素晴らしい映画
ペンギンハイウェイは主要なキャラクターの造形が非常に良くて、アオヤマくんをはじめとして、お姉さん、お父さん、妹、ウチダくんと、どれも好きになれるキャラクターばかりです。
また、中盤の楽しい夏休みパートや、ラストに向けての疾走感あるペンギン大行進など、観ているだけで幸せになれるシーンも多く、エンタメ映画として、そもそも出来が良いのが素晴らしいですね。
4回ぐらい通しで見るぐらい大好きなのですが、最初に観た時は、特に誰かに勧められたとかではなく、保存してあった少し前の雑誌(多分、BRUTUS)の中で、ペンギン・ハイウェイの宣伝記事(蒼井優へのインタビュー)があり、観ようかな、と思ったのが、きっかけだったと思います。
(話は外れますが、ぼくはさほど好きな女性芸能人がいないほうなのですが、たぶん、蒼井優は好きなほうに入ってくる芸能人です。結局のところ、ああいうあたりが強くなさそうで未成熟感がありながら包容力のある女性が好きということであり、わかりやすく自分は文化系非コミュ男性だなーと思いますね。嫁も同ジャンルですし…。)
特に他に代えがたい魅力を放つアオヤマくんのキャラクター
この映画の魅力の80%ぐらいの魅力は主人公のアオヤマくんで、学習意欲が非常に高い優等生で、自己肯定感がめちゃくちゃに高く、ペンギン・ハイウェイをわざわざ観るようなひとにはとてもとても刺さるキャラクタです。
あまりにも「理想の努力ができる自分」すぎて、ペンギンハイウェイのアオヤマくんを観ていると、自分がアオヤマくんのように学習とそれがもたらす肯定感で生きていたころを思い出したり、アオヤマくんから逸脱したのはいつからだろう、と考えたり、アオヤマくんのように終始生きていられたらどんな可能性があっただろうかと夢想したりしてしまいます。
高ランク中高一貫校などに通っていて、その中でトップ集団で抜けられなかった人などは、特にそういうことを思うかもしれないですね。
「えらくなる」ことを考えさせられる
また一方で、アオヤマくんの言う「えらくなる」というのは、なにをもって「えらくなる」と言っているのだろうか、と良い年をした大人になると、考えてしまうところもあります。
まあ、あまりそれが指しているものを考えても、小学生が考える「えらい」なので、社会的な地位・人間性など、色々合わさってよくわからないボヤっとしたなにかとしての「えらい」なんだろうとは思うのですが。
学習をすることは、「えらくなる」ために必要なことだけれども、アオヤマくんもどこかで実務的なえらくなることとはリンクしなくなることに気づくんだろうなーと思うのですが、そのあたりをアオヤマくんがどう乗り越えていくのだろうかな、と考えたりもします。(研究者とか、そういうゾーンであれば、リンクするのかもしれないですが)
ただ、社会的地位としての「えらくなる」はともかく、昨日の自分と対比しての「えらくなる」でいえば、歳なんて関係なく、心がけるべきことだとは思いますし、アオヤマくんの言う「えらくなる」というのはそういう概念なのかな、とも思いますね。
ときどき、日々の忙しさや倦怠感にかまけて、「えらくなる」意識を忘れてしまうのは、よろしくないことです。
私も年齢も中年に差し掛かってきたところではありますが、だからこそ、昨日の自分と対比しての「えらくなる」を意識して生きていかないといけないのだろうな、と思いますね。