うさぎドロップ(1-10)/宇仁田ゆみ
賛否両論あるラストではあるものの、僕は好きな作品
読み返したりしていました。「うさぎドロップ」は、原作のラストについて賛否両論はあって、ラストで嫌いになった人も多いと思うのですが、自分はあのラストも含めて好きだったりします。
(アニメも、パフィーのOPが前半の「うさぎドロップ」とばっちりあっていて、そこだけ何度も見てしまうほど、好きです。名作ですよねぇ…。)
ダイキチの最初の選択の強さときたらさぁ…
「うさぎドロップ」では、子育てのために、主人公のダイキチは会社組織の中での評価や出世を捨てて、子育てが出来る環境づくりを優先します。
別に、主人公は仕事が出来ないタイプではなく、どちらかといえば、しっかりと評価を積み上げてきたタイプで、架空のキャラクタとはいっても、その思い切りはすごいな、といつも思ってしまいます。
人の親になってみて実感しますが、本当に尊敬ですよ。絶対できない。
6歳というりんの年齢設定の妙
それはそうとして、引き取った時のりんの年齢が6歳というのは、子どもを育てていても思いますが、設定としてけっこうリアルな部分があります。
6歳ぐらいのそれなりにませた、見た目の良い女児であれば、30代の独身男性であっても、愛情を抱きやすく、育てやすいだろうとは率直に思います。
これが、もう少し年齢が小さかったり、男児だと、自分の子どもでなければあそこまでするのはしんどいと思いますし、それ以上の年齢であれば、もっと、親密になりづらいだろうなーと思うので、本当に設定の妙ですね。
ラスト、6歳からしか育てていないと思うと、ダイキチの選択もわかる
そして、最初が6歳といった、自我が一定まで確立された年齢から始まっているからこそ、原作のラストでりんの要望を受け入れるダイキチの感覚も、ぎりぎりわかる気がします。
6歳というのは、何もわからないようでいて、実際は色々とわかる年齢だし、生活における大抵のことは、教えられれば出来る歳でもあります。
ダイキチとリンは保護者と子どもの関係であり、生活のパートナーなので、そりゃ断れない。
その点、ダイキチにとっては、保護者と子どもの関係であると同時に、完全な庇護の対象というわけでもなく、当初から生活のパートナーでもあります。
それが育っていって、引続き生活のパートナーとしての場所を求められたときに、断りきることは、中々難しいと思うんですよね。
「子どもが欲しい」とも言われており、性的なパートナーとして、というのも含まれるので、そこが賛否両論を生んでいるのですが、ダイキチは性的なパートナーとしては、相当に抵抗感も感じています。そこも極めてまともなんですよね…。
どちらかといえば、互いに幸福に生きるにおいて、一生のパートナーであることを選んだというのが主なんでしょう。性的な部分は、後で考えよう、という感じなのではないいでしょか。
(気持ちや衆目の問題はあるにせよ、近親相姦になるわけでもなし、既に魅力的な女性になっているという状況であれば、あとは周囲からの目を忘れるための勢いだけの問題な気はして、自分から状況を動かしにはいかないだろうと思いますが、りんから迫られれば、断れないだろう、という感じもします)
まあ、性的な部分を考えても、6歳から、というのは、なんとなく、ぎりぎりの線な気はしますね。
女児は5~6歳ぐらいから既に女の子としてふるまうことを思えば、主人公は実質的には女の子のりんとしか接していないわけですしね。赤子のときから知っているのと比べれば、許容しやすい気はします。目の前にいるのは、自我の確立した女性ですからね。
お互いの幸福を考えれば、あの選択しかなかった
なんか、話が変な方向に行ってしまいましたが、とにかく、「うさぎドロップ」は互いの幸福を考えた結果、落ち着くところというのはあそこで良かった話だと自分は理解しているので、あのラストで納得感はあります。
別にコウキとりんがくっついても良かったのだとは思うのですが、ああやって色々な選択肢がつぶれていく中での最後としては、あれしかないということだと思いますし、あそこで主人公がりんのことを拒絶する選択は、衆目を考えれば自然とはいえ、本人たちの幸せを思えばない、と思うんですよね。
ダイキチが断り、りんが別の幸せを見つけて、ダイキチがおじいちゃんとして、実質的な孫と接する、というラストも考えられるとは思うけれども、それがダイキチ自身にとって、りんと暮らす選択肢よりも正しいかといえば、多分違います。
ダイキチが、りんとの生活が終わったあとに、誰かと一緒に生活して、新しく家庭を構築していくことは、(コウキくん母が相手であればともかく)相当難しいだろうと思いますし。
むしろ、ダイキチのキャラからすると一貫性しかない
世間の目を考えれば、断ることが当然とされても仕方がないけれども、ダイキチがりんにあそこまで生活のパートナーとして求められて、それを受け入れないのは、りんと自身の双方の幸福を無視した選択になるはずです。
それを踏まえると、あのラストは、ダイキチが率直に自分の幸せとりんの幸せの双方を考えたときに、体面を言い訳にせずに選択したものであって、素晴らしいと思いますね。
6歳のりんを色々な立場を投げ捨てて受け入れたダイキチを考えると、キャラクターとしての立ち位置は一貫しているのだと思います。うさぎドロップ、やっぱ好きな作品ですよ。
(いや、まあ、作者が大人しくコウキ母とダイキチをくっつけてくれていれば…みたいなことは思わなくもないですが)