エマ(1-10)/森薫
「エマ」を読み返していました(「シャーリー」も合わせて)。「エマ」は久しぶりに読み返したのですが、いま読み返しても、とても面白く読めましたね。結構、忘れてしまっているもので、登場するまで、存在が思い出せなかったキャラクタが結構いたのが意外でした。前回読んだのはいつだったっけかな。
「乙嫁語り」もそうなのですが、「エマ」に出てくるキャラクタは、あまり人生の展望について悩みを持っておらず、自分の家業だったり、とりあえずありついた仕事をやっていく中で、「なんとかなるさ」と、自然と生きている感じが強いです。生きていられるだけで万々歳、というか。
まあ、生き方を選択できない時代を描いているし、そういう時代を描きたいであろう作者が描いているので、当然ではあるのですが、そうやって描かれるひとたちのしなやかで強く、健全な精神には、あこがれてしまいますね。
「エマ」を読んでいると、「エマ」の人々のように、あまり考えこまず、日々を過ごしていった方が、良いのだろうなーと思わされます。
暇が悩みを与える、というのは、そうなんだろうな、と思いますし、生活が豊かになったことで、逆に、幸福感を感じる機能が落ちていっているのかなーと思います。
まあ、嫁とオリンピックを見に行って「一生に一度のことだから!」と楽しめるようには、どうやってもなれはしないわけですが、全てのことは「一生に一度のこと」なので、実直に素直に生きていきたいところですね。
ハツカネズミの時間(1-4)/冬目景
「ハツカネズミの時間」を読み返しました。冬目景作品が好きだったころにまとめて集めたシリーズのひとつで、冬目景作品の中では、比較的まとまっている作品だという記憶があったのですが、久しぶりに読むと、けっこう展開自体は唐突で、強いて(歳を取った)今読む必要はないと言える程度には、なんともな作品ではありますね。
(学校という狭い世界にいる人向きなので、今の自分が着信しないのは当たり前ではあるのですが)
まあ「イエスタデイをうたって」も、連載中は兎も角、改めて読み返すと、結構うーん、という作品ですし、「幻影博覧会」や「ACONY」も大分アレではありますし、きちんと物語のバランスを保ったまま終われてるのは、「ももんち」ぐらいかもしれないですね。
それでも、なんとなく陰のある雰囲気と綺麗さで読ませてくれるのが冬目景作品の良いところではあります。
「空電ノイズの姫君」も特にヒットしなかったので、どちらかというと、僕が冬目景作品の対象年齢ではなくなった、というのがたぶん、正しいところなんでしょうね。
歳をとると、趣味も変わってくるものですが、とはいえこの作品を中高生の僕が読んでぶわわっとなにかを感じたのは一方で事実なので、手元からなくしてしまうのも惜しく、どうしようかと思っているところです。
思ったよりも、手放すとその作品が自分の人生に存在したことも忘れてしまいますからね。
まあ、そうやって心を軽くして、生きて行かないといけないんでしょうが。そのために、こうやって書いておいている側面はあるので、割り切って書いたら手放すべきなんですかね。