小市民シリーズのアニメ版をおそばせながら4話まで見ました。「春季限定いちごタルト事件」が終わるところまでですね。
米澤穂信の小市民シリーズは昔から大好きでずっと追いかけていた作品だったので、思い入れもひとしおですが、原作を何回も何回も読み返しているところから見ると気になるところも多く…という感じです。氷菓とはちょっと違うかな…。
というわけで、感想を簡単に記録しておきます。(不満ばっかりになっちゃいましたが、あくまで個人の感想です。)
キャラクタービジュアルの変化は結構気になる
小鳩くん、こんな奴だっけ…
小鳩くんはすごく大人びたデザインになりましたね。
なんとなく小柄な小佐内さんとセットの印象があり、原作のイラストからすると少し小柄な印象を抱いていましたが、アニメ版の小鳩くんはすらりと背が高い感じの、何かペルソナに出てきそうなキャラクターの風貌をしています。
風貌からして知恵働きをしそうですね…コイツは絶対小市民ではない。
まあ、秋季限定栗きんとん事件における彼女の発言なども踏まえると、アニメ版の小鳩くんの風貌は近しいような気もしますが。
ただ、小鳩くんのいけすかない度が妙に強調されていて、原作のトータルの印象からすると、少し遠いキャラクターデザインではあるような気がします。
ただ、これは原作に染まりすぎている側の意見なので、本作の雰囲気からするとまぁこういうビジュアルになるのは仕方ないことなのかなぁと思わなくもないですね…。
まぁ基本的に小鳩くんは人間の感情を理解できない人なので、ビジュアル的にはこの方が近いのかもしれません。
古典部シリーズの折木奉太郎も、原作で示されていたビジュアル(剣道とかやってそうな男子高校生)からすると少し飛んでいるデザインのはそうなので、そのうち慣れるんですかね。
あと、何故か和菓子屋の息子設定が追加されていますが、意味があるんですかね?
小鳩くんが甘味にそんなに興味がないところから、小佐内さんに付き従っていくうちに、好きな甘味が増え…というのが一つのポイントな気はするのですが、4話時点まででは若干不要な設定変更に感じてしまいます。今後の展開で活用されることを期待。
小佐内さんは100%小佐内さん。可愛いし、狼。
ヒロインの小佐内さんについてですが、こちらはほぼ100%再現されていると言っても過言ではない素晴らしいビジュアルですねー。
小佐内さんは比較的再現しやすい側のキャラクターであり、古典部シリーズのヒロインのえると比べると、原作でのイラストのブレもないし、これはまぁ当然という感じもしますが。
↑小説版表紙のイメージの通りのビジュアルなのは素晴らしいすね。
動いている小佐内さんは少しもったいつけているような動作が気になるぐらいで、基本的に可愛く、小動物然とした様子が表現されていて非常に良いですね。
狼モードの小佐内さんも気の強さが表現されていて素晴らしいです。
唯一問題があるとすると、小説版でもそれなりに疑問だった「変装術が得意」の部分ですが、みまごうほどの雰囲気の差があるようには見えないので、4話の堂島健吾が結構間抜けな感じになっちゃってますね。
4話の教習所でのシーンはもうちょっと雰囲気の違いが分かるように示すべきだったのではないかと思います。
(まあ、これはビジュアルの問題というよりは、このアニメ全般的に原作小説読んでいることが前提の表現が多すぎる気もしますね。初見でこれみたら理解不能じゃないでしょうか…)
堂島健吾、泥臭いビジュアルで出てくると信じてたのに…
堂島健吾、お前どうした?
おそらく原作読者からすると一番違和感があるのは堂島健吾のイケメン化ですね。マジでどうした。
堂島健吾はビジュアル的にはおそらく小鳩くんと対比してもかなり明確に原作で描かれている方だと思いますし、キャラクターからしてももう少し違う方向のキャラだと思うのですが、なぜかThe 体育会系イケメンになっています。
原作の記載は以下やぞ。全然ちゃうやないか。
声に見合った粗野っぽい雰囲気の男、肩幅の広いがっしりとした体つきで、背丈そのものもぼくより随分高い。(中略)頭の両側を刈り上げて、もともと角顔なのだろうけれど、頭全体が四角く見える。
いや、このビジュアルをそのまま出された漫画版の堂島健吾がいいかというと別なのですが…。
まぁ、出てくるキャラクターの顔が軒並みシュッとした顔になっているところもあるので、原作通りのビジュアルを再現するのはちょっと難しかったのかもしれませんが。
2話で「俺の知っている常悟朗どこいった」と小鳩くんを詰める堂島健吾ですが、原作読者からすると「俺たちが知っている堂島健吾どこいった」と問い詰めたくなります。
ぼくらの頼れる新聞部部長の堂島健吾を返せー!!金竜のタンメンが似合う堂島健吾を返せー!!
(いや、秋季限定ぐらいになると、アニメビジュアルが適正な気もしますが…)
アニメ版が小鳩君の一人称ではないことによる弊害
アニメのテンポ良くないな?
正直に言うと、古典部と比べても相当見づらいほうのアニメではあると思います。率直に、テンポがよくない。
ビジュアル的に小鳩くんと小佐内さんの隠し持っているところを表現しようとしたり、小佐内さんと小鳩くんの関係性の良さを表すために色々と画面構成などを気を遣っているというのはわかるところではあるのですが…。
一定の場所で会話をするときに、表現上だけとはいえ、ポンポンと場所が変わったりするのは、目で見ていても少し疲れる印象があります。
そうでなくても、もともと回りくどいセリフも多い作品なので、落ち着いて会話をきけばいいのか、絵作りの部分に着目すればいいのかがよくわからなくなります。着信力が低くてすまぬ…。
小鳩君の心の声がないとツッコミ役がいないんよな
また、本作では小鳩くんの心の声がかなりオミットされています。
まぁ、もともと原作では地の文自体が小鳩くんの一人称で進んでいくので、当然のことながら減るのはそうだと思うのですが、原作の軽妙なポイントというのは基本的には小鳩くんの心の声の部分で担保されている部分があります。
実態、心の声で自嘲したり、突っ込みを入れたりと年相応の部分が見え隠れするからこそ、小鳩くんのあのいけすかない性格が許されているところはありました。
その点、小鳩くんの心の声がオミットされてしまうと、言葉を選んで発しすぎていて、何考えているのかようわからん主人公とヒロインに付き合う羽目になるんですよね…。これ、ちょっとキツイ。
というか、小市民シリーズのツッコミ役は基本的に内なる小鳩くんなので、小鳩くんが心の声で突っ込んでくれないと、なかなか作中の会話に対してうまく解説が入らない部分もありますね。
その点でもアニメのテンポの悪さ、見づらさを助長しているかなという気がします。
小鳩君の心の声がないと、存在している意味が不明瞭なシーンもある
例えば1話のポシェットを盗まれた女生徒の「媚を売っているみたいでつらいのよ」というセリフに対して、小鳩くんは「恩には着せないよ」というセリフを返します。
このシーン、原作では地の文で「なるほど君も小市民なんだね!同志よ!わかるよ!」といった趣旨の心の声が入るため、意味のあるシーンかつ味があるのですが、アニメではその心の声がなく、作劇上の意味がわかりづらいシーン、無駄なシーンになってしまっています。
原作と同じセリフ回しとは言え、「媚を売っているみたいでつらいのよ」に対して「恩には着せないよ」は不思議なセリフですよね…。
お前、相手の言ってること理解してんのか?って印象になります。
他の所でも、小鳩くんの心の声がオミットされているせいで、妙に重くなりすぎたり、間が抜けた会話になってしまっていたり、差し込まれた意図がわかりづらい描写はかなり多いように思います。
限度はあるにせよ、もう少し心の声を挟んでも良いのでは…と感じられました。
もちろん、作劇上の都合とか、演出上の意図などは多分にあるのでしょうが、その辺のところの処理があまりうまくできていないのかなという印象を抱かざるを得ませんでした。
(古典部シリーズなんかで言うと、折木の心の声の挿入は結構多かったように思いますが、どうでしたかね(なくても通じていたのかもしれないけど))
原作2話飛ばしたことによる問題
原作2話飛ばしたので堂島健吾の行動が妙になっている…
アニメ版ではポシェットの話の次に美味しいココアの淹れ方の話に飛びますが、原作2話の高尚な絵の話「for your eyes only」が飛ばされたのは、話の流れとしてはかなり違和感がありましたね。
「for your eyes only」は 後半に向けてのところで、結構重要な事件で、以下の要素が含まれています。
- 堂島健吾が小鳩くんと小佐内さんに結構面倒な依頼をかけており、探偵役となった小佐内さんへのお礼もかねて、家に呼ぶ直接的な原因になった事件
- 小鳩くんが「知恵働き」しないことに堂島健吾が疑念を深める話
- 依頼されたから謎解きをしたのに、別に誰もうれしい結果になっていないという小鳩くんの小市民志向を補強する話
で、その事件を飛ばした結果、2話の堂島健吾は「明らかにデート中のカップルを理由もなく突然家に呼びつけて詰める」よくわからん人物になってしまっているんですよね…。
堂島健吾、キャラクターとしてあまり人の機微に敏いわけでは無いのですが、明らかにデート中とわかるような2人に対してそれを邪魔して小鳩くんを問い詰めるために呼びつけるような事はしないと思うんですよね。
原作では「事件解決のお礼のため」が主だったので、堂島健吾の不器用な真面目さが出ていて良かったのですが…。
小鳩くんの動きに疑念を深めるのにも1話の事件の接点だけでは不足してますし…。
この辺はすごく違和感がありましたね…。
原作2話ないと、アニメ3話の小鳩くんのトラウマの説得力が…
加えて、アニメ3話のラストで「もう知恵働きはしないと決めたんだ!」と小鳩くんが健吾に言うシーンがありますが、原作の同じシーンで、知恵働きしたくない例として挙げられているのも「for your eyes only」の事件解決時の依頼者の様子だったりするんですよね…。
それがないアニメ版では、イマイチ「知恵働き」によって嫌な思いをする具体例がない状態で小鳩くんのボルテージが上がるさまを見せつけられるので、「お前どうした???」となってしまいます。
絶対抜くなら2話より1話だっただろ…。
その他、細かい違和感
アニメ3話の小鳩くんのモンブランの違和感
あと、アニメ3話の「ハンプティ・ダンプティ」での小鳩くんのモンブランについてですが、この描写もすごい違和感あるんですよねー。(文句ばっかり)
学校にスマホを忘れた&現場検証したくなった小鳩くんはアニメ版では何故か注文したモンブランには一切手を付けずに学校に戻ります。
率直に「喰ってから行けよ!!!」と思いますよね…。戻ってくるつもりがあるとしても、長時間離席するなら食ってから行けよ…。
(なお、原作ではモンブランはささっと食べ終わって、小佐内さんの食べ放題が終わるのをただ待っているタイミングで学校に戻ります。)
で、「ハンプティ・ダンプティ」に戻ってくると、きれいにモンブランがなくなっており、小佐内さんが食べてしまったことが示唆されます。
が、小佐内さんは食べ放題プランなので、食べてしまう意味がわからんのですよね…。なんなんよ…。
で、特に何かその点についての指摘もないまま、話が進むという…。もうおれにはアニメ版の演出の意図がわからん。
あと、ここでモンブランを小佐内さんが詐取したとすると、夏期限定で振り回される遠因となった小鳩くんのシャルロット盗み食いの意味が変わっちゃうじゃないですか…(お互い様になっちゃう)。なんなんよ…。
全体
原作は大好きですし、小佐内さんのビジュアルや作中の表現も凝っていて良いアニメだとは思うものの、原作の魅力が維持されているかというと、うーん?という印象があります。
ビジュアルは原作のイメージにひきづられているので横においておいても、テンポとか細かい改変、エピソードやシーンの取捨選択を見ると、素晴らしいアニメ!と絶賛はできないかなぁ…という印象であります。
特にテンポがとにかくよくなく、キャラが自然に動いている感がないです。
原作の雰囲気自体の表面は再現できている感じもしますが、若干違うものになっているかなぁと言う印象がありますね。
(実際にアニメを見た後に小説版を読むと、やはり小説版のテンポの良さやキャラの強さがあるなと言うところに気づかされるので、その点は観て良かったかな…と思うところですが)
直近で熱心に見ていたスキップとローファーのアニメ化が100%解釈した上で、アニメでしかできない表現をしているアニメだったので余計とそう思うのかもしれませんが…。
まあ原作熟読している状態でアニメを見ると、どうしても飛び抜けてプラスがない限りは不満が抱かれやすいですよね…。
ポジティブに評価できなくてごめんよ…。絵は良いんだけどね…。