きのう何食べた?最新刊の24巻の個人的な感想です。話があっちこっちにいくので、本当に覚書程度のものです。
尚、直接的に内容にそんなに言及するわけではないですが、ネタバレありです。
きのう何食べた?連載当初(約18年前)では絶対に刺さらなかったであろう話が、18年自分も年を取ったことでめちゃめちゃ刺さってしまいましたわ…。
最近、こいつら加齢の話しかしてねぇな…
加齢で睡眠が浅くなるとか、お手洗いが近くなるとか…
結婚式も行い、パートナーとして明確に結束した二人ですが、まあ特にそれで何が変わるでもなく、相変わらず加齢の話ばかりしています。
まあ、そりゃ60歳と58歳だと加齢の話ばかりになろうというもの、ですが…。実際自分も30代後半の時点で加齢の話しかしてないし、まあ気持ちはわかる。
連載開始当初はなんかこう、(明示的ではないにせよ)性的なパートナーみたいな話も多少はあったような気もしなくはないですが、正味、もう「お互いの末期をどう見送るか」みたいな世界になってますね。
30代が”若者”の世界
で、彼らの交友関係の中では、美容室の同僚(部下?)のタブチくんとその内縁の妻みたいな彼女である千波さんが若者になるわけですが、本人たちも言う通り、彼らももう30代なので、いい歳したおじさん・おばさんではあるんですよねー。
まあ、50代60代が中心線の世代からみれば、まだまだ若手、なのですが。感覚的にはすごくわかりますね。
特に、シロさんとケンジの世界では、子どもがいないので、基本的に次の世代との接点がないわけで、出演者が若くなりようもないですね。
(まあ、じゃあ子どもがいる場合において、関係性の中で若い人が出てくるのか、というとそうでもないのですが)
次の巻ではタブチくんたちが焦点になるのかなー
しかし、30代の二人が、結婚せずに同棲を続けている、というのは、現代的ではあるものの、30代は事実としては若者というわけでもないのだから、「早くケリをつけろよ」と読者としては思ってしまいますね。
今回、妙にタブチくんたちが出てきましたが、次の巻の一つの動きがあるポイントは、タブチくんたちなのかもしれません。
以前、佳代子さん娘夫婦で「子どもを作らない理由はあっても、出来てしまった子どもを堕ろす理由にはならなかった」というような話をしていましたが、結婚についてはどういう回答を出すんでしょうかね。
親の死というテーマ、刺さりすぎる…
両親の死が身近に感じられる年代まで強制的に引き上げられてしまった…
で、24巻の最大の山場は「親の死」だったわけですが、いや、なんというか刺さりすぎましたねぇ…。いや、もうそういうのを意識する年だもの。
たぶん、いまの「きのう何食べた?」の読者層って、モーニング連載当初20~30代ぐらいだった人だと思うんですよね(ドラマで入ってきた層を除けば)。それが、18年の連載を経て、だいたい40代~50代ぐらいになってきてるわけです。
そして、その年代はちょうど親が60後半~70台後半ぐらいだったりするわけですよ…。連載期間によって強制的に刺さる年代に読者側が変化させられている…エグイ…。
関係性の変化と緩やかな着地を見てきたからこその読み味
シロさんの両親も、時代性はあるにしても、まあそんなに手放しで「良い親」とも言えないような感じの方々ではあるのですが、とはいえ、読者ももう結構な年数彼らとシロさんたちの間を見てきています。
彼らが距離を取ったり、わだかまりが少しづつ埋まってきている(時間ぐすり…)のも、長い時間をかけて見てきているわけで、だからこそまあ、シロさんの父親の複雑な感情の変化も腑に落ちるわけですよね。
もちろん、もっと正解はあるだろ、という不器用な感じの両親とシロさんとの関係性ではあるわけですが、なんとなく落ち着きどころを見つけて、ある意味正しくコミュニケーションが取れる関係性になったのも、ケンジがケンジの大人の部分を発揮したことによるわけでもあり。
シロさんの父からのケンジへの感謝のシーンは本当に味わい深いすね…。
おれもちゃんと両親とコミュニケーションを取らないといけないなぁ…などと思わさせられましたわ。いや、コミュニケーションを取っているほうだとは思うけれどね。
なんか毎度のことながら、1巻あたり1つ山場を作られている
きのう何食べた?、長期連載日常作品ではあるのですが、そうはいっても最近は毎巻なにかしらの山場があるのが素晴らしいですね。
今回も、あまり想像していなかった急なイベントの発生で、かなりドキドキさせられましたし、ついでにめちゃめちゃ爪痕を残されてしまいました。すげぇよ…。
次の巻も楽しみですわ。タブチくんの話か、それとも誰かの死の話か。まあ、年齢も考えると、そんなに明るい話ばかりではないとは思いつつも、我々の日常の延長線上にある当然訪れるイベントが来るはずであり、楽しみですね。